武の悟りが私の魂のテーマの一つでもあります。
ブルース・リー、彼は、”武”の達人
武の悟りとは、
「何もしないことをする」、あるいは「しながら何もしない」こと
これと同じテーマを拙書「虹色の飛龍」で表現しています。
視点を変えて、ワンネスから表現すると、
「何もないけれど、すべてある、それは慈愛でありあなたそのもの」
になります・・
以下、ブルース・リー・インタビューより
少し哲学的に聞こえるかもしれないけれど、
それは「何もしないことをする」、
あるいは「しながら何もしない」ことなんだ。
……え?
もう分からなくなった?
そうだよね。
でもね、実はその両方が合わさった状態なんだ。
ここに「自然な本能」がある。
そしてここに「コントロール」がある。
この二つを調和させることが大切なんだ。
どちらかに極端に寄りすぎると、
一方では非科学的になり、
もう一方では突然、機械のような人間になってしまう。
それはもう「人間」ではない。
だから理想は、
完全に自然でもなく、完全に不自然でもない状態
「不自然な自然さ」
あるいは
「自然な不自然さ」。
陰と陽、ということ?
――そう、その通り
「スタイル」を持たないで、ただ
「人間として、どうすれば自分を完全に表現できるか」
と問い続けるなら、スタイルは生まれない。
なぜならスタイルとは、固まった形だからだ。
その代わり、
そこには成長し続けるプロセスがある。
動きはとてもゆっくりかもしれない。
押し出し、曲げ、伸ばしながら、
流れを止めずに動き続ける。
まるでバレエダンサーのようだね。
そう、彼らの考え方は
「流れる水は決して腐らない」
というものなんだ。
だから、とにかく流れ続けること。
西洋の世界では、
ギリシャ時代を除いて、
哲学・芸術・スポーツを一つのものとして捉えてこなかった。
でも東洋では、この三つは同じものの別の側面だと考えられている。
僕にとって、
究極的に武術とは何かというと、
それは
自分を正直に表現すること
これは本当に難しい。
格好をつけたり、虚勢を張ったり、
派手な動きを見せることは簡単だ。
でもそれは全部、偽物だ。
自分に嘘をつかず、
自分を正直に表現すること―
それが一番難しい。
だから訓練が必要なんだ。
動きたいと思った瞬間に、もう動いている状態。
動くと決めたら、迷わず動く
一寸も引かない
殴ると決めたら、殴る
本気で、全身で
そうやって訓練し続けることで、
自分と一つになる
そして最後に、これだ
心を空にする
形など存在せず、
それは、水の流れでもある
水は‥ポットへと姿を変容させ、
ボトルにも変わることが出来る
急須に入れれば急須になる
水は…流れることもできるし
壁を打ち砕くこともできる
Be Water My Friend

