ポンと世界が現れる

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”現れ”というお話は、とても大切なので続けますね。

前回の記事で、世界はポンと現れるという話をしましたが、

これは、本質と繋がるとても大切な点だと思います。

この世界がポンと現れるという感覚ですが、

例えば、外の景色を眺めたときに、風景は順番には現れないですよね?

最初に雲が見えて、空がみえて、ビルが見えて、人が見えるとかの

順番には風景を眺めてはいないですよね?

全てが一瞬で視えているはずなんですよ。

瞑想の話とも繋がってくるのですが、

私達は、一瞬で眼の前に現れる風景を眺め、

何かにフォーカスした時に、判断(善悪)、識別、理解がやってくるんですね。

たとえば、雲をみて「あ、この雲の形龍に似ているな・・」とかです。

本当は外の世界は、ポンと全てが一瞬で現れているのですが、

フォーカスした瞬間に、思考が、識別、判断を始めるんですね。

”あるがままを見る”という言葉もありますが、あるがままとは、

ポンと世界が現れた一瞬をそのまま視るという意味です。

根源の現れの波がせり上がって、生まれた一瞬の世界が、現れの世界で、

叡智そのままなんです。

叡智の意味がそもそも分からんと思いますが、

根源からの現は全て叡智になります。

例えば、(正しい)日本語は叡智の塊ですが、

業務マニュアルは、知識ですが叡智ではありません。

ですが、業務マニュアルも極めると”道”ですので、

叡智になる場合もあります(笑)

実話なのですが・・・とある、賢者の方は、

一瞬で失われてた古代のヨガの技法をダウンロードして、

一冊の本を書き上げたことがあるんです。

なんて不思議な?!

・・・と思ってしまうかもしれませんが、目の前に広がる風景が、

ポンと一瞬で現れるように、本1冊分の叡智も、一瞬でポンと現れるものなんですね。

逆に頭の中で、AだからB、BだからCの様に仕事で使っている思考は、

現れとは切り離なされているので、知識であっても、叡智ではないんです。

分かりますか?

ですが、高度な科学の法則に触れる人、例えば、論理物理学者とは、数学者は、論理的な思考を使っていますが、数学は、現れの根底にある基礎の部分なので、実は、彼らも現れとして表現しているんです。

自然と数学は、全く別の様の思われるかもしれませんが、

根源から真理の波がせり上がってくる時の波の中には、色んな形が混ざっていて

その形は、神聖幾何学として表現されます。幾何学模様は数式で表すことができますよね?ですから、自然と数学は一体なんです。

雪の結晶を顕微鏡で覗くと、いろんな模様になっていますが、それと同じです。

根源の波は、色んな種類の雪の結晶が混ざった、スープになっているんです。

ちなみに、根源のスープから、形が生まれるキッカケは、

私達の意識が、対象物に向けられた瞬間になります。

これを量子力学では、波動関数の収縮と呼んでいる様です。

深いところでは、自分は知っている…という表現もありますが、

世界はいつも根源との繋がりと保ったまま、

ポンと現れているので、深いところでは、

みんな自分のことを良く知っているはずなんですね。

迷った時は、自分の体に聞けば良いです…と昔お話しましたが、

人の体は、自然の現れと直結しているので、

体が喜んでいれば、良い選択で、

体が拒否していれば、適切な判断ではないかもですね。

ずっと、情報としての言葉

それから、根源の現れの言葉という話をしていますが、

人についても同じで

・情報としての”あなた”として、生きるのか?

・根源の現れとしたの”あなた”として、生きるのか?

この2つがあるのだと思います。

後者は、レムリアであり、叡智であり、

新しい国造りであり、現れの文化(道)であり、悟りなんです。

前者は、支配であり、常識であり、分離なんです、

これはアトランティスの名残になります。

さて、とてもレベルの高いお話になってしましたが、

このお話は、叡智ですね。

360度、私の話が理解できる人は、皆無ですので、ご安心くださいませ。

昔から、叡智、叡智とお話していますが、

叡智とな何なのか?

なんとなく、分かってくださいましたでしょうか…?

では、

宮古島(4)魔法使いの復活

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さて、今日も脱線しながら、宮古島の話を続けましょう。

九頭竜大社で、雷(らい)と風(びょう)という言葉が

真理の大海から波としてせり上がってきた、というお話をしました。

この出来事があって、やっぱ宮古島へ行くか!となりました。

宮古島に意識を向けると、心が喜ぶ、みたいな感じでしたね。

そういえば、シドニーを立つ前に、ロビンさんから、

今回の日本での旅の中で、自分がどんな存在と一緒にいるのか

ハッキリとわかるわよ〜

それから、エネルギーの動きをよく見て、目的地を決めてね〜

とアドバイスを貰いました。

ホテルに戻り、宮古島に行く方法について考えを巡らせます。

うちの龍さんの意向では、6月1日に必ず宮古島へ行け!

みたいな、感じだったので、

念の為と思い、事前に少し下調べをしてきたんですね。

だって、人生の中で、宮古島に行こうかな?とか考えたことは

一度もなかったからですね。

6月1日に宮古島の飛行場に到着したとして、どうするの?!

みたいな疑問がありました。

それで、”宮古島”、”スピリチュアル”で検索した時に、見つけたのが⋯

…とここまで、書いていて思ったのですが、

今日お伝えしたい話は別のところにある様です。

我ありて、在るものなり…というお話をいつもしています。

我ありて、在るものとは、名前の無い唯一の存在という意味です。

私達の本質であり、核心の近い部分です。

南西諸島には、この名の無き神が姿を現す、場所が点在している様です

それは、御嶽に守られていて、大地のうねりと伴に姿を現します。

ですので、天地が揺らぐことは避けられないのですが、

新しい命を育む為には必要な様です。

全体の現れの話をいつもしていますが、

全体の現れは、根源からやってくるので、

膨大なエネルギーを秘めています。

私達は、その膨大なエネルギーを雫を貰い、いま、生きているのです。

現れの力は、山を砕き、

島を生み出すほどの、創造のエネルギーを持っていて、

それは、原初の”生み出す力”と同じものです。

人間が本質(自然)から切り離されて、生き続ける限り、

創造のエネルギーが、天と地を揺るがす、出来事は続くのだと思います。

ですが、天と地の揺らぎとは、新しい世界の創造ですので、

今度、新しい世界をつくるときには、

現れとして創造することが大切です。

この変化は、

地球、国、地域、家族、個人、あなた…の中で起こります。

ですので、現れとして「新しい国」を創造をすることは大切です。

新しい国とは、

新しいあなたでもあり、

新しい家族でもよく

新しい地域でも、文化でも良いわけです。

創造的であるということは、大地と繋がり、

表現者で有り続けることです。

もし、あなたの考えが、古い美徳からやってきているのであれば、

それは、長くは続かないでしょう。

でも、あなたのインスピレーションが地と繋がっているのであれば、

現れとして表現されているのならば、

それは、真に、「新しい国造り」になります。

神々のエネルギーとは、創造の光のスパークであり、

あなたの中に宿り続ける、

輝ける命そのものなのです。

私達、神々は、あなたに、その創造の源であり、光をスパーク(輝き)を

あなたに届けた、

あとは、あなたが、それをどの様に使い、表現するのか?

である。

新しい国造りとは、自分の中心から始まり、外へと放射されてゆく。

古(いにしえ)の輝きを持つ者もの達と役割とは、

まさに、その事を指している。

だから、在ることが大切なのだ。

中心の無い軸は、ガタガタと回転し、前進することは難しく、

中心の無い軸には、土台となる文化の様なものがあり

中心の無い軸を持つものは、私の顔を見ることはない。

さて、宮古島の話に戻りますが、

なるほど…この物語も、根源の現れとして

エネルギーとして、綴る必要がある…ので、

曼荼羅の様な、ステンドグラスの様な、

文章になるのが正解の様です。

なぜなら、現れには、時間という概念が無いからです。

神様は一瞬にして、この世界を作りました。

そこには、順番の様なものがなく、

優先順位もなく、一瞬にして、ポンと生まれたんです。

ですので、消えるときも、ポンと消えます。

一見、バラバラで、混沌とした世界だと思える、

出来事も裏の世界では、整然と秩序を保たれた、

シグナル、聖幾何学として、表現されています。

宮古島のお話から大幅に脱線ですが、

エッセンス(大事な部分)だけ、お届けしてね…ということみたいです。

その理由ですが、私が宮古島で体験した不思議な出来事をお話すると、

みんな、奇跡体験の方に、注目してしまうんですね。

でも、本当に大切なのは、根源との繋がりの方なのだと思います。

このお話も、やっぱり、言葉を単なる情報として、

理解して、そのまま人生を終えるのか?

それとも、全体の現れの言葉として、操れる様になり、

真(まこと)の意味での、

魔法使いに戻れるのか?の大切なお話ですね。

響く人には、響くかもです。

では!

P.S. 私の文章で、抽象度の高い部分は、波動が高いので、感じる様に読んで頂ければOKです。

抽象度が上がると、波動が高くなるんですね。
行間を読むという言葉がありますが、

本当に大切なことは文字として起こせないんです。

「須佐神社(須佐大宮)」雲出ずる国 ”出雲”・日本の源流」

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須佐神社をご存知ですか?

荒ぶれる神、素戔鳴尊が終焉の地として選んだのが、

出雲「佐田町」であり、祀られているのが、素戔鳴尊なのです。

神社が好きな方であれば、必ず訪れたい神社の一つですね。

そして、すさのわ というお宿が、境内の敷地の中にあります。

ここは、パワースポットのお宿ですよ。

私も、熟睡できました!お勧めです。

拙書:「神社に行こう!あなたの龍を癒やし、日本を再生: ミラクル龍神繋ぎ」 

宮古島(3)我は神なり龍神なり

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さて、今日も脱線を続けながら、宮古島での出来事のお話を

続けたいと思います。

京都の九頭竜大社で、「雷(らい)、風(びょう)」

という言葉が大海からせり上がってきた時は、

とても驚きました!

それが、その時は、(らい)という音が何を意味して、

(びょう)という音が何なのか?さっぱり、わかりませんでした。

いまでは、雷と風という漢字だと分かりますが、

その時は分からなかったんですね。

私にも先生がいるのですが、その方に、

「関ちゃんの龍は、陰陽師やなあ」と言われたことがありました。

この時は、既に、「芦屋道満物語」と「虹色の飛龍」の

龍の本を2冊書いていたにも関わらず、

”我は神なり龍神なり…”と、書き綴っていたにも関わらず、

自分と龍が一体だった、という理解が希薄だったんです。

あまりにも、自分と龍がぴったりと一体化しているので、

龍に気が付かなかった、みたいな感じです。

自分で自分の顔を見ることが出来ないのと、同じですね。

答えを先に言うと、私の龍は雨降りの龍です。

平安時代の昔話に、日照りが続き、作物が枯れ、人々が困っている時に

龍が現れて、雨を降らせたというお話ありますよね?

その”雨降りの龍”、なんです。

だから、私の龍は、雷(らい)、風(びょう)と言いながら、現れます。

雷と風を起こして、恵みの雨を降らせるんですね。

ちなみに、最初にゴロゴロと言います。

ですが、自然を動かす程の龍ですので、

実際に私の龍に出会うとメッチャ荒々しくて、

迫力満点ですので驚くと思います。

とにかく巨大です、100mはあると思います。

陰陽師「蘆屋道満」を生み出した龍でもあるので、

その気迫はすざまじいものがあります。

優しい白龍さんと一緒〜、

みたいな龍神様もいるとは思いますが…

私の龍は真逆です(笑)

龍脈という言葉もありますが、

龍は雨を降らしたり、地震を起こしたり(予防したり)

することが出来るほど、自然と伴に生きている生き物なんですね。

実際、日本という国は、神々を指示のもとに、

龍達が外界で、山や川を造ったんです。

国造りとは、神々と龍との共同作業で行われたんですよ。

覚えていますか?

これまた、夢物語だと思われてしまいますが、

よーく思い出してください、現実世界が動く時は、

最初に裏の世界でエネルギーが先に動くんですよ

つまり、裏の世界でエネルギー的に龍が先に雨を降らせると、

現実(物質)世界で、雨が降るんです。

昨日、私がリーディングをすると、神々とクライアントの守護霊の間で、

「もう、そのカルマ解消させても、ええんとちゃうん?」という

やりとりが最初にあり、その後に、クライアントの病気が治るという

お話をしましたが、それと、同じですね。

やっぱり最初に裏の世界が最初に動くんですね。

さて、宮古島の話、なかなか先に進みませんが、

私にとっても、沢山の学びを与えてくれた出来事です。

雨降りの龍にお話に戻りますが。

京都の神泉苑には、弘法大師が中国から白龍を呼び寄せて、

雨を降らせ、干ばつから救ったというお話がありますが、

まさにその龍だと思います。

同じ龍ではありませんが、ルーツは似ていると思います。

奇しくも、帰国初日、羽田のホテルに宿泊したときに、

偶然、近くに川崎大師と呼ばれているお寺が

あることに気が付き、何気なくタクシーで向かうと、

10年に一度の「川崎大師赤札授与の大開帳」の真っ最中でした。

つまり、弘法大師と龍に導かれた、旅の始まりだったのです。

ですが、弘法大師のことも、龍のことも、

私は、何も知らずに…宮古島へと向かうのでした。

<続く>

P.S.

思い出したのですが、我は神なり龍神なり…

”神を崇めることなかれ、”と、うちの龍さんは、いつも言っています。

龍を神として、崇めると自分の力を神という存在に委ねてしまい、

龍=偉大、自分=小さい、みたいな関係を作ってしまうんですね。

龍”神”としては、これは、不本意なんです。

悟りとは、自我を持ちながらも自分が”神”であることに気がつくこと、

とお話しましたが、私達も”神”ですので、龍と私(あなた)は、

伴に神であり、対等であり、

肩を並べて、歩むべき兄弟なんですね。

これは、私の教え(?)の中では、とても大切なポイントの一つです。

では!

宮古島(2)日本人とアセンション

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真理の大海から波の様なものがせり上がって、

言葉が生まれる…というお話ですが、

西洋人には理解不能では…?と思います。

その理由ですが、西洋の人々は、

自然を支配するのが人間だと考えている節があるからです。

日本には、沢山の神社があり、

よろずの神が今でも大切にされていますよね。

”ひらがなが”とは、

大海(真理)がせり上がって生まれた、言葉だとお話しましたが、

日本人は、日本語を使っているので、

正しく日本語を使うと、真理に繋がりやすく、

エネルギーが動くはずなんですね。

どこかで、 ”道”と悟りの話を分かりやすくお伝えしたいですが、

結局、

華道、茶道、弓道、武道は、

大海(真理)がせり上がって生まれた、

表現としての芸術なんですね。

ですので、

・大海(真理)がせり上がって生まれた、言葉

・大海(真理)がせり上がって生まれた、華道

この両者は、全く同じなんです。

つまり、両者とも真理である大海にしっかりと繋がり、

せり上がってきた波の現れとして表現しているんですね。

この状態を難しく言うと、”悟り”になるんです。

犬や猫や、草花は、難しいことは一切考えないので、

初めから悟っているとも言えますが、

自我が薄いので、厳密には少し違います。

ですが、人の凄いところは、

神様と同じ世界を創造する力と

自我を持ちながらも、

同時に、真理の大海に繋がることが出来ることです。

意識的に真理の大海に繋がることも出来る様になると、

これは、悟りを開いたことになります。

また、少し難しくなってしまいましたが 汗)

悟りとは、一言で説明すると、

自我を持ちながらも、

同時に、自分が神様だと気がつくことなのです。

自我を持ちながらも、

華道、茶道、弓道、武道の中に

美(完全なる美宇宙の調和)を感じることができれば、

これは、文化的であり、知的であり、自然と一体になった悟りです。

自我を持ちながらも、

草花の中に美(完全なる美宇宙の調和)を見出すことができれば、

これは、自然と一体となった悟りです。

日本人は、真理に繋がる日本語を使っているし、

脈々と受け継がれてきた、

神道と自然との共存の文化が根付いている(はず)なので、

日本人がアセンションに一番近い、人々だと言われるんですね。

さて、宮古島の話から、大幅に脱線しまいしたが、

今回は、このお話が波として表現しました、という事で

では・・続く・・

宮古島(1)静寂の大海から生まれた言葉

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宮古島で起こった出来事、体験したことについて

まだ、一部しかお話してませんでしたね。

このブログを読んで下さる方とは、ご縁があると思いますので、

この機会に体験したことについて、お話させてくださいね。

宮古島に初めて足を運んだのは、去年2024年の6月1日でした。

その数ヶ月前から、

私の龍が、6月1日に宮古島、6月2日に奄美大島へ行ってください

もしくは、行きたい!という要望が聞こえていました。

奄美大島なんて、行ったことないし、遠いし、お金かかるし、

無理だろう・・と思いっていました。

しかも、翌日に奄美大島って不可能だし・・

(結局、奄美大島には行かなかった)

6月から、Japanツアーを予定していて、日本各地を廻る予定でした。

5月末に、羽田に到着しても、まだ、宮古島に行くのか迷っていました。

ただ、宮古島に行こう!と思うと、自分のハートが喜ぶ

感覚があるのは分かりました。自分のハートが喜ぶのか、はたまた、

龍が喜ぶのか、わかりませんでしたが・・(笑)

羽田から宮古島へ行けば良いものの、まだ、迷っていて

とりえあえず、私の本拠地である、京都へ移動しました。

京都の宿に到着したものの、まだ、どうすれば、良いのか分からず

とりあえず、雨の中、京都・八瀬にある九頭竜大社へ、向かいました。

神社の裏手には、龍神様がいらっしゃるという池があり、

そちらに向かい、お祈りをしていると、

勝手に言葉が降りてきました。

言葉が降りるというのは、適切な表現ではなく、いつもの

現れの存在として、大海の一部がせり上がってくる感じで、

エネルギーが言葉として、現れました。

「雷(らい)、雷(らい)、風(びょう)、風(びょう)」と言葉が現れました。

いま、こうして、文章に起こしてみて思ったのですが、

日本語というのは、サンスクリット語と同じ様に、

真理に近い言葉で、

なんども、繰り返し得しまいますが、

大海の一部がせりあがって、表現としての

言葉が、”らい”であり、”びょう”なのだと思います。

余談になってしまいますが、おそらく、日本語の”あいうえお”の

ひらがなの音も、真理の大海がせり上がって生まれた言葉だと思います。

先日気がついたのですが、”君が代”の歌も、

実は、真理の大海の現れとして、

エネルギーがせり上がり、生まれた歌なのです。

これは、間違いないと思います。

ですが、このお話も、

「君が代は、スピリチュアルな、歌だった!」みたいに、

情報として拡散されたものには、本質から分離して、

命が宿っていないので、意味の無いものになってしまいます。

それどころか、真理を汚染してしまうのでは?とも感じます。

口伝という、先祖代々、伝えられる物語があると思いますが、

口伝が存在する理由は、

真理の大海の現れとしての、エネルギーを伝えているのだと、思います。

ところで、日本は、マニュアル社会ですが、

マニュアルほど、本質(真理の大海の現れと)から

分離したものは、無い感じます。

言葉というものは、とても奥が深くて、

”音”でも、あるのですが、同時に”形”でもあるんですね。

言葉が生まれる仕組みですが、

世界には、基底/土台となる部分があって、

そこには、静寂しかないんです。

その静寂が揺らいで、波が起こり、この世界全部が出来ています。

言葉も、思考も、この静寂のゆらぎから、

小さな気泡の様に生まれています。

時々、何かしたいけど、何をしたいのか、分からない時ってないですか?

私は、時々ありますね。あれでもない、これでもないって思います。

自分がやりたいことも、実は、静寂から揺らぎが起き、波がうまれ、

潜在意識の中で、言葉の気泡がうまれ、顕在意識に上がってきた所で

自分のやりたいことが分かったりするんです。

「旅行に行きたい!」とかです。

かなり、脱線しましたが。

京都・八瀬にある九頭竜大社で、

龍の言葉が生まれた、みたいなお話です。

とりあえず、ここで、一旦区切りますね。

(その3)日本人とアセンション

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明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願いします。

さて、2026年は日本にとって激動の時期になるのでは?と感じますが、

皆様はどの様に思われますでしょうか?

”霊性が高いこと” と、”物理次元の現実社会”とは、どの様な関係になるのでしょうか?

私の考える現実社会で”霊性の高い人”の定義は、一つの分野を極めた人…だと考えます。

科学の分野では、例えば、DeepMindのデミス・ハサビス (Demis Hassabis)は、銀色の光が降りてきているので、霊性も高く、卓越した頭脳を持つ方だと感じます。

イーロン・マスクの頭脳の使い方は、スターシードの典型で、思考する、考えるというプロセスをスキップして、瞬時に最適解である結論を導いていると感じます。

彼の思考のプロセスは、量子コンピュータと類似性が高く、普通の方とは、完全に異なる思考方法をしているのでは?と以前から考えています。

確かに、イーロンは、テクノロジーの分野では、新しいモノを生み出すという能力を極めているのですが、人格者ではない様なので・・霊性が高いのか?となると疑問の余地が残ります。

芸術の分野では、作者の霊性の高さは、如実に現れると思います。科学でも芸術でも、一つの昇華された、哲学の様なものがあると、軸となり霊性が高い…と考えても良いでしょう。

例えば、岡本太郎の作品は超越し、宇宙と繋がっていると感じています。彼自身、”悟り”にとても近いゾーンにいつも、いらっしゃったのでは、ないでしょうか?

武術の世界では、もちろん、宮本武蔵、それから、ブルース・リーですね。
武を昇華し、悟りとして宇宙と一つとなり、武術として表現されていますよね?

と・・・ここまで、つまり、何が言いたのか?というと、

霊性が高い人とは、霊能者だったり、サイキックである必要は無いのです。

たとえ、優秀なヒーラーや占い師でも、人格者ではなく、エゴに満ちた人っていますよね?

霊性の高い人は、何処かの段階で、悟りの域に達しているんですね。

つまり、どんな自分が分野にいても、鍛錬を積むことで、

小さな自分の力を越えた、

もっと大きなものが存在することを常に感じ、その大きなものが

宇宙が自分を通して表現している、そんな感覚です。

その境地に立つと、成功や失敗という概念は存在せず、

ただ、(宇宙と)一つとなって行動している…

という感覚が芽生えるのです。

私のブログでは、何度も「悟りの」話について触れますが、

つまり、霊性の高い人とは、特定の分野を極め、宇宙と一つとなり

行動している人なのでは?と感じます。

これを難しく表現すると、悟りなのですが、

もしくは、別を表現をすると、

行動に無駄がなく、

自分らしく心地よく生きている人…になります。

”宇宙はあなたを通して何を表現したいですか?”・・と

過去に、何度かブログの中で解説しましたが、

霊性の高い人とは、

宇宙と一体となり、表現している人…なのでは?

と感じます。

もう少し、説明すると、そこには善/悪の区別はなく、

ただ、完全なる慈愛が存在します。

つまり、完全なる慈愛の伴に、表現している、在る人、こそ

霊性の高い人ではないでしょうか?

さらに、説明すると…社会的にダメだと思われている人でも、

もし、それが宇宙に与えられた自分の役割であり、

それを100%表現し、自らも心地よいのであれば、

その方も霊性は高いはずです。

何故なら、そこには、善悪の判断は無いからです。

あなたの隣に座っている隣のオッチャンの方が、偉そうな政治家よりも、

よっぽど霊性が高いのでは?と思うこと・・ありますよね?

この様に、「霊性の高さ」を考えるとき、悟りと必ずセットに考えると、

良いのでは・・と私は感じます。

ですので、日本人が、何か一つのことを昇華し、

心地良く宇宙と一つとなって表現していると、

つまり、霊性が高いと言えるのだと思います。

これを噛み砕いて、表現すると、

「自分らしく生きている人」=「霊性の高い人」

・・となるのです。

魂リーディングを受けられた方のご感想

龍神からのメッセージ 陰陽師「芦屋道満物語」

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チャネリングで書き上げた渾身の大作です。

2020年に私が実際に体験した出来事をもとに、

霊的な観点かから物語を書き上げています。

繰り返し読んで下さる方がいらっしゃるので、

とても嬉しいですね。

京都で活躍した陰陽師「芦屋道満」としての前世の記憶を持つ筆者。その筆者にしか描くことができない、壮大なノンフィクション。

人、神、そして、もののけが肩を並べ生活をしていた時代、戦場で戦う陰陽師の苦悩、龍神との関係を鮮やかに描きあげた作品。これが、筆者が体験した本当の話だとあなたは信じられるだろうか?

”陰陽師とは何なのだろう?陽炎の様に立ち上がる世界を、呪術で自在に操る能力に卓越し、
それはまるで、神の様だ、全知全能の神だ!

世界をまるごと創り上げろ、宇宙を1つ生み出せと言われれば、
僕たち陰陽師は、いとも簡単にやり遂げるだろう。
何やら、おかしくて笑いがこみ上げる。

ー本文よりー

(その2)日本人とアセンション

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日本人の霊性を高める事は、果たして可能なのでしょうか?

前述した通り、日本人の使っている意識の波と粒は、

とても似通っているので、アセンションに一番近い民族のはず・・

なんですね。

かつて、マチュピチュの文明で暮らしていた人々は、

一夜にしてアセンションを果たしたのですが、

彼らがアセンションを果たせた理由は、

全員の魂が同じ星から地球へと転生したからなんです。

一方、日本人も・・同じ星からやってきた・・訳ではないのですが、

日本人の魂の系譜がとても似通っているのが、特徴だと感じます。

レムリアの魂の流れを土台として、シリウスの魂の系譜が上に乗っている感じです・・

色んな角度から説明できるのですが、

アミニズムを大切にした土着の文明(縄文)が、レムリア由来の文明で

アミニズムをさらに昇華し、神道を軸に、天皇家(シリウス)と融合したのが、古来の日本であり、日本人です。

日本の特徴は、魂の系譜からみると、純血(純粋性)が保たれているのが特徴なので、

私がお話している通り、日本人の持っている意識の波と粒は非常に似通っているんです。

意識の波と粒は非常に似ている・・その例ですが、

簡単な例をあげると、たとえば、混み合った電車に乗ったときの距離感とかありますよね?

日本人は無意識にお互いに距離感や、空気の読んでいるので、絶妙のタイミングで譲り合いが起きたり、するんですね。

海外に長く住んでいるので、一時帰国の時には、日本人の細やかな距離感と気遣いに触れると、日本の人たちは生まれながらにしてサイキックでは?と思ってしまうんです。

日本に住んでいると気が付かないのですが、場の空気をお互いに読むというのは、一種のサイキック的な能力で、使っている意識の波と粒がそろっていないと、出来ないんですよ。

欧米(特に米国)では、論理性を重視するので、話さなければ分からない、説明しなければ、相手に伝わらない、というのは当然の話して、
日本の様に、空気を読んだり、阿吽の呼吸というものは、理解できないんですね。

(私は、日本の企業と米国系の企業の両方に長年勤務していましたので、仕事の進め方にも文化の違いが如実に現れます)

他にも、ファッションなどの流行が、またたく間に、

若い人々の間で流行のは、日本人の意識の粒と波が揃っている証拠なんですね。(SNSが発達する以前も、同じでしたよね)

ここまで、書いて感じたのですが、

日本人の霊性を高める第一歩は、

日本人の使っている「意識」は、外国よりも進んでいて、

サイキックになり易く、霊性を高めやすい民族である・・

という認識でしょうか?

「私達の本質は意識である」

”意識の使い方”と私は、表現しましたが、私達の本質は”意識”なんです。
世界の変化を観察する”意識”なのです。さらに説明すると、
この”意識”を自在に操れる様になると、アトランティスの様な超高度の発展した文明を築くことが出来る様になります。

魂リーディングを受けられた方のご感想

(その1)日本人とアセンション

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こんにちは、シドニーのカオルです。

果たして、日本人の霊性を高めることは可能なのでしょうか?

そもそも、霊性を高めるとは、どんな意味なのでしょうか?

私はいつも光の側から”正しい(真理)と

思えるメッセージを届けているのですが、

現実社会とは大きな隔たりがある様に感じます。

エネルギーだけを辿ってゆくと、 

スピリチュアル界隈で言われている通り、

日本人が目覚めることは、

とても大切で、

日本を中心に

世界をアセンションへ導く可能性は存在するのです。

にわかには信じがたいと思われるかもですが、

外国と比較すると日本人が持っている

意識の粒と波の質が、全員とても似ています。

例えば、良くも悪くも、

”その場の空気を読む”という感覚は、

日本人にしかありません。

民族が似ている意識の波、粒を持っているので、

人々の意識は、良くも悪くも繋がり易いので、

ドミノ倒しの様に、

意識の相転移が起こりやすいので、

そもそも、日本人は、

アセンションしやすい民族なのです。

ですが、今は、日本人の持っている同調意識が

自分たちを縛る方向に使われてしまっているのです。

でも、目覚めって一体何なのでしょう?

アセンションとは何なのでしょう?

霊的な目覚めを語る時に、大切なポイントが複数存在すると感じます。

ひとつは、ワンネスです。

ワンネスとは、この世界が膨大な”慈愛”で出来ているという、認識です。

ポイントは、”慈愛”とは、愛では無く、世界にあまねく存在する”慈愛”を、

指しています。

慈愛は、世界を文字通り支える、100万ボルトのエネルギーなので、

ふわふわとした、優しいものでは無いのです。

ワンネス/慈愛のゾーンに入ると、”私”という個が消え去り、

私達という概念のみになります。

ですので、集団でひとつの大きな家族、

意識体の様に生活する様になります。

渡り鳥や、蟻などの動物がそうですね。

この様に私達が一つとなり、生活をしていた時代を

レムリアと呼びます。

今の時代、少しでもワンネスに近いとこで、生活が出来ると

これは、霊性が高まったと考えても良いのでは、ないでしょうか?

霊性を高める為のもう一つの柱は、シンプルに

「自分らしく生きること」・・・だと思うのですが、

様々なハードルが高い場合が多い様です。

まず、自分らしく生きるの意味ですが、

私、独自のスピリチュアルな視点から説明すると、

一人ひとりの魂にはブループリント(設計図)があり、

得意なことが決まっている様に感じます。

アーティストとしての魂を持つ人は、やっぱり医者を目指すのではなく

芸術家として表現するのが、魂にとっては自然なことなのです。

ですので、自分の今生での魂の目的通りに、生きていらっしゃる方は、

霊性が高いと考えて良いのかもしれませんね。

「霊性を高めるイコール、霊能者になることではない」

スピリチュアルに興味が湧くと・・(続く)

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