NOTE記事の転載になります。
後醍醐天皇、チャネリング
天皇家は、龍そのものだったりします。ご存知でしたか?
私の龍は、天皇家の庇護の龍ですので、
後醍醐天皇のチャネリングも理にかなっているのかな?と感じます。
古い文体なので、文字に起こすときに苦労します。
高校時代の苦手科目は、古典でしたので(笑)
我ありて、山河在り
御国の誉、ここに在り
いつの日か、世は廃れ、
大いなる御心に抱かれし日々を忘れ、
望郷なる想い、覆水なり我、篝火になりて、この地に降りるは、
遠く彼方に見える、小舟の如し我なくして、平定は訪れず、
御国の誉、取り戻さんとする想い、いまだ変わらず
我が想い、ここにありて、
錦の旗の、翻る吉野の山に、桜が吹雪く
我、この世の情け知らずして、
盃に映る、我が面に、
夜明けを見ずに、いられぬ…苦楽を共にしし者たちと、
再び盃を交わすとき、
我、万感の思いなり…
ChatGPTが解説
自分のチャネリングをChatGPTに解説させるなんて、
凄い時代になりましたね!
我ありて、山河在り
「私(=霊的存在)があってこそ、山や川(=国土・自然)は存在する」
→ 自分は単なる人ではなく、日本という国土そのものを支える魂・神霊・守護者であるという宣言。
🟩 御国の誉、ここに在り
「この地こそが、御国(みくに=神の国・日本)の誇りである」
→ 失われたものがある中で、今もここに誇るべき神聖さが残っているという誇りの表明。
🟩 いつの日か、世は廃れ、
大いなる御心に抱かれし日々を忘れ、
望郷なる想い、覆水なり**
「やがてこの世は荒れて、
神の大いなる慈愛に包まれていた日々を人々は忘れ、
故郷(=神の国)への郷愁は、こぼれた水のように戻らぬものとなった」
→ 現代人が神意や魂の原点を忘れた悲しみ。
「覆水」は「覆水盆に返らず」=一度失えば元には戻らないという意。
🟩 我、篝火になりて、この地に降りるは、
遠く彼方に見える、小舟の如し
「私は篝火(希望・導きの灯)となってこの地に降りる。
その姿は、遠くに浮かぶ小舟のように小さく儚い」
→ 霊的な存在が人々に見える形で降り立つが、その姿は目立たず、気づかれにくい。
しかし確かに、そこに「光」はあるという詩的な比喩。
🟩 我なくして、平定は訪れず、
御国の誉、取り戻さんとする想い、いまだ変わらず**
「私の存在なくして、この国に平和は訪れない。
御国の誇りを取り戻したいという想いは、今も変わらずここにある」
→ 過去に敗れ、退いた存在であっても、国の真の平和の鍵は自分にあるという霊的なメッセージ。
「取り戻さん」は意志を表す古語。
🟩 我が想い、ここにありて、
錦の旗の、翻る
「私の想いがここに存在するとき、
栄光と誇りを象徴する旗が再びはためく」
→ 魂の目覚め・再興の兆し。錦の旗は格式ある美しい旗で、皇室や国の威信を象徴します。
🟩 吉野の山に、桜が吹雪く
「吉野の山に桜が舞い散る」
→ 吉野=南朝の拠点。桜=日本、儚さ、純粋さの象徴。
→ かつての栄光、失われた時代の美しさを思い出させる情景。
🟩 我、この世の情け知らずして、
盃に映る、我が面に、
夜明けを見ずに、いられぬ…
「この世の人情には疎い私ではあるが、
杯に映る自らの顔に、夜明けの光を見てしまう」
→ 「情け知らず」=孤高の存在としての自嘲。
だが、杯に映る自分の顔(老いや傷跡)に、新たな夜明け(希望)を見る。
🟩 苦楽を共にしし者たちと、
再び盃を交わすとき、
我、万感の思いなり…**
「かつて苦楽を共にした者たちと、
再び酒を酌み交わすその時が来たなら、
私は万感(様々な思い)に包まれることだろう」
→ 仲間との再会、魂の和解、平和の再訪を心から願っているラストのクライマックス。

オーストラリア在住21年の筆者が、自然療法であるホメオパシーでパニック発作を治療したところ、苦難の末、壮大な一瞥体験をし、2015年にスピリチュアルに覚醒した体験記。
”冗談だろう? 人生って、ジョークだったのか? あまりの可笑しさに、僕は笑いが込み上げてきた。 僕たちは、人生というドラマの傍観者だったのだ。でも、そこには愛が満ち溢れている。 いや、どこもかしこも、愛でギッチリ溢れているのだ。” 〜本文より〜
【こんな方におすすめ】
・自然医療に興味のある方
・悟り体験に興味のある方
・クンダリーニ覚醒に興味のある方
・スピリチュアルな浄化体験に興味のある方