”現れ”というお話は、とても大切なので続けますね。
前回の記事で、世界はポンと現れるという話をしましたが、
これは、本質と繋がるとても大切な点だと思います。
この世界がポンと現れるという感覚ですが、
例えば、外の景色を眺めたときに、風景は順番には現れないですよね?
最初に雲が見えて、空がみえて、ビルが見えて、人が見えるとかの
順番には風景を眺めてはいないですよね?
全てが一瞬で視えているはずなんですよ。
瞑想の話とも繋がってくるのですが、
私達は、一瞬で眼の前に現れる風景を眺め、
何かにフォーカスした時に、判断(善悪)、識別、理解がやってくるんですね。
たとえば、雲をみて「あ、この雲の形龍に似ているな・・」とかです。
本当は外の世界は、ポンと全てが一瞬で現れているのですが、
フォーカスした瞬間に、思考が、識別、判断を始めるんですね。
”あるがままを見る”という言葉もありますが、あるがままとは、
ポンと世界が現れた一瞬をそのまま視るという意味です。
根源の現れの波がせり上がって、生まれた一瞬の世界が、現れの世界で、
叡智そのままなんです。
叡智の意味がそもそも分からんと思いますが、
根源からの現は全て叡智になります。
例えば、(正しい)日本語は叡智の塊ですが、
業務マニュアルは、知識ですが叡智ではありません。
ですが、業務マニュアルも極めると”道”ですので、
叡智になる場合もあります(笑)
実話なのですが・・・とある、賢者の方は、
一瞬で失われてた古代のヨガの技法をダウンロードして、
一冊の本を書き上げたことがあるんです。
なんて不思議な?!
・・・と思ってしまうかもしれませんが、目の前に広がる風景が、
ポンと一瞬で現れるように、本1冊分の叡智も、一瞬でポンと現れるものなんですね。
逆に頭の中で、AだからB、BだからCの様に仕事で使っている思考は、
現れとは切り離なされているので、知識であっても、叡智ではないんです。
分かりますか?
ですが、高度な科学の法則に触れる人、例えば、論理物理学者とは、数学者は、論理的な思考を使っていますが、数学は、現れの根底にある基礎の部分なので、実は、彼らも現れとして表現しているんです。
自然と数学は、全く別の様の思われるかもしれませんが、
根源から真理の波がせり上がってくる時の波の中には、色んな形が混ざっていて
その形は、神聖幾何学として表現されます。幾何学模様は数式で表すことができますよね?ですから、自然と数学は一体なんです。
雪の結晶を顕微鏡で覗くと、いろんな模様になっていますが、それと同じです。
根源の波は、色んな種類の雪の結晶が混ざった、スープになっているんです。
ちなみに、根源のスープから、形が生まれるキッカケは、
私達の意識が、対象物に向けられた瞬間になります。
これを量子力学では、波動関数の収縮と呼んでいる様です。
深いところでは、自分は知っている…という表現もありますが、
世界はいつも根源との繋がりと保ったまま、
ポンと現れているので、深いところでは、
みんな自分のことを良く知っているはずなんですね。
迷った時は、自分の体に聞けば良いです…と昔お話しましたが、
人の体は、自然の現れと直結しているので、
体が喜んでいれば、良い選択で、
体が拒否していれば、適切な判断ではないかもですね。
ずっと、情報としての言葉
それから、根源の現れの言葉という話をしていますが、
人についても同じで
・情報としての”あなた”として、生きるのか?
・根源の現れとしたの”あなた”として、生きるのか?
この2つがあるのだと思います。
後者は、レムリアであり、叡智であり、
新しい国造りであり、現れの文化(道)であり、悟りなんです。
前者は、支配であり、常識であり、分離なんです、
これはアトランティスの名残になります。
さて、とてもレベルの高いお話になってしましたが、
このお話は、叡智ですね。
360度、私の話が理解できる人は、皆無ですので、ご安心くださいませ。
昔から、叡智、叡智とお話していますが、
叡智とな何なのか?
なんとなく、分かってくださいましたでしょうか…?
では、

オーストラリア在住21年の筆者が、自然療法であるホメオパシーでパニック発作を治療したところ、苦難の末、壮大な一瞥体験をし、2015年にスピリチュアルに覚醒した体験記。
”冗談だろう? 人生って、ジョークだったのか? あまりの可笑しさに、僕は笑いが込み上げてきた。 僕たちは、人生というドラマの傍観者だったのだ。でも、そこには愛が満ち溢れている。 いや、どこもかしこも、愛でギッチリ溢れているのだ。” 〜本文より〜
【こんな方におすすめ】
・自然医療に興味のある方
・悟り体験に興味のある方
・クンダリーニ覚醒に興味のある方
・スピリチュアルな浄化体験に興味のある方