真理の大海から波の様なものがせり上がって、
言葉が生まれる…というお話ですが、
西洋人には理解不能では…?と思います。
その理由ですが、西洋の人々は、
自然を支配するのが人間だと考えている節があるからです。
日本には、沢山の神社があり、
よろずの神が今でも大切にされていますよね。
”ひらがなが”とは、
大海(真理)がせり上がって生まれた、言葉だとお話しましたが、
日本人は、日本語を使っているので、
正しく日本語を使うと、真理に繋がりやすく、
エネルギーが動くはずなんですね。
どこかで、 ”道”と悟りの話を分かりやすくお伝えしたいですが、
結局、
華道、茶道、弓道、武道は、
大海(真理)がせり上がって生まれた、
表現としての芸術なんですね。
ですので、
・大海(真理)がせり上がって生まれた、言葉
・大海(真理)がせり上がって生まれた、華道
この両者は、全く同じなんです。
つまり、両者とも真理である大海にしっかりと繋がり、
せり上がってきた波の現れとして表現しているんですね。
この状態を難しく言うと、”悟り”になるんです。
犬や猫や、草花は、難しいことは一切考えないので、
初めから悟っているとも言えますが、
自我が薄いので、厳密には少し違います。
ですが、人の凄いところは、
神様と同じ世界を創造する力と
自我を持ちながらも、
同時に、真理の大海に繋がることが出来ることです。
意識的に真理の大海に繋がることも出来る様になると、
これは、悟りを開いたことになります。
また、少し難しくなってしまいましたが 汗)
悟りとは、一言で説明すると、
自我を持ちながらも、
同時に、自分が神様だと気がつくことなのです。
自我を持ちながらも、
華道、茶道、弓道、武道の中に
美(完全なる美宇宙の調和)を感じることができれば、
これは、文化的であり、知的であり、自然と一体になった悟りです。
自我を持ちながらも、
草花の中に美(完全なる美宇宙の調和)を見出すことができれば、
これは、自然と一体となった悟りです。
日本人は、真理に繋がる日本語を使っているし、
脈々と受け継がれてきた、
神道と自然との共存の文化が根付いている(はず)なので、
日本人がアセンションに一番近い、人々だと言われるんですね。
さて、宮古島の話から、大幅に脱線しまいしたが、
今回は、このお話が波として表現しました、という事で
では・・続く・・

