スピリチュアル

「スピリチュアルな眠り」から抜け出す魂の旅路


こちらの女性Sarah Elkhaldyさん、

始めて動画を見ましたが、只者ではない感じがします。

深いレベルでスピリチャルを理解されています。

スピを始めると、エゴ(自我)を

悪いものだと思ってしまう傾向にありますが、

エゴは、二元の世界を探求するのに必要なんですね。

ースピリチュアルな眠りから抜け出す魂の旅ー

わたしたちは何かを学ぶとき、それが「何であるか」だけでなく、「何でないか」も同時に体験しています。

たとえば、「愛とは何か」を本当に理解するには、「愛ではないもの」を知る必要があるのです。

この世界で「知識」と呼ばれているものの多くは、ただのデータや情報にすぎません。

しかし、本来の「知識」は、もっと深く、二元性を通じて体得される“目覚めのプロセス”です。

聖書に登場する「善悪の知識の木」は、まさにこの二面性を象徴しています。

善を知るためには、悪も知らなければならない。

これは単なる宗教的な寓話ではなく、「体験によって知る」という学びの古代的な真理を伝えているのです。


現代スピリチュアルの文脈では、しばしば「エゴ=悪」とみなされがちです。
けれど本当は、エゴこそが、魂の覚醒を可能にする“媒介”でもあるのです。

私たちがこの世界に生まれてきたのは、個別の意識=エゴを通して、唯一無二の体験をするため

現実と深く関わり、「自分自身の目で見る」こと。
そこからしか、本当の知識は育ちません。

古代の教えでは、「知識」とは思い出すことでした。
それは、魂がかつて知っていた真実を、体験を通して再発見していくプロセスです。

現代人は、情報過多のなかで「知っているつもり」になっている一方で、
本当の意味での“知る”感覚=身体感覚・魂の共鳴としての理解を失いつつあります。

知識とは、外から与えられるものではなく、自らの内に響きながら熟していくものなのです。

誰かが「何かを本当に知っている」と言えるとき、それは

  • その存在と深くつながり、
  • 自分の中で咀嚼し、
  • 体験を通してその本質に触れてきた、ということです。

それは、浅さの対極にある“親密さ”であり、魂の成熟の証でもあります。

現代では「知識は外部からの借り物だ」として軽視されることがあります。

たしかに、知識は本だけでは完結しません。

けれど本や情報との出会いが、魂の記憶を呼び覚ます導線になることもあるのです。

知識には“入口”と“出口”があり、それは人によってまったく異なります。

外部から始まった学びが、やがて内側で発酵し、深い理解へと昇華されていくのです。

真のスピリチュアルな成熟とは、「外から何も受け取らないこと」ではありません。

むしろ、さまざまな体験・情報・関係性を通じて、自分なりの“識別力”を育てていくこと。

それが、二元性に満ちたこの現実世界をしなやかに旅するための鍵です。
そしてその“識別”の中にこそ、本当の知識の種子が隠れているのです。

「汝自身を知れ(Know thyself)」という言葉があります。
これは単に自分の内面を見つめるという意味ではありません。

現実に触れ、そこから体験を通して“知っていく”プロセスそのものが、自己理解につながっているのです。

知識とは、単なる情報ではなく、魂と現実を結ぶ橋です。
そしてその橋は、“対極”をくぐり抜けることによってのみ架けられるのです。

💫 すべての「知る」は、愛の反対を知ることから始まる。
すべての「目覚め」は、眠りの深さの中に種を持っている。

ホメオパシーでスピリチュアルに覚醒した私

オーストラリア在住21年の筆者が、自然療法であるホメオパシーでパニック発作を治療したところ、苦難の末、壮大な一瞥体験をし、2015年にスピリチュアルに覚醒した体験記。

”冗談だろう? 人生って、ジョークだったのか? あまりの可笑しさに、僕は笑いが込み上げてきた。 僕たちは、人生というドラマの傍観者だったのだ。でも、そこには愛が満ち溢れている。 いや、どこもかしこも、愛でギッチリ溢れているのだ。” 〜本文より〜

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